被災57年 2011年3・1ビキニデー

 3月1日静岡県焼津市において「ビキニデー集会」が開催されました。久保山さんの遺影とともに焼津駅から弘徳院までの墓参行進が行われ、全法務からも静岡支部をはじめ本部・名古屋・長野・横浜支部から21名が参加しました。

 今から57年前の3月1日午前6時45分アメリカは太平洋上の楽園と呼ばれたマーシャル諸島のビキニ環礁で「ブラボー爆弾」と呼ばれる水爆の爆発実験を行いました。ブラボー爆弾は直径1984m深さ76mの巨大なクレーターをつくり、キノコ雲は16・2㎞の大きさとなりました。破壊されたサンゴ礁の微粉末に核分裂生成物などが付着した「死の灰」は広大な海域に降り注ぎ、アメリカが当初設定した危険水域の外側で創業していた日本のマグロ延縄漁船第5福竜丸にも降り注ぎ23名の乗組員全員を被爆させてしまいました。約2週間後第5福竜丸が母港の焼津に戻った時、乗組員全員が急性放射線障害になっていました。半年後の9月23日乗組員の一人久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」との言葉を残してこの世を去りました。
この事件は、日本国中に、また世界の人々に原水爆の恐ろしさを伝え知らせる歴史的な役割を果たしました。
「核兵器のない世界」は今や究極の課題ではなく実現可能な現実課題として私たちの目の前にあります。
 核廃絶にむけた取り組みをより一層広げるため、これから予定されている平和大行進や原水爆禁止世界大会・反核平和マラソンに積極的に参加し、平和への声を全国に・世界に広げていきましょう。

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ビキニデー参加者
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久保山さん献花